大判例

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京都地方裁判所 昭和43年(レ)84号 判決

控訴人

中野茂男

代理人

大国正夫

被控訴人

木俣秋水

代理人

小林昭

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人は控訴人に対し本判決確定の日から一〇日以内に縦二五センチメートル横一八センチメートルの未使用の白紙又は罫紙に、別紙記載文案のとおりを、墨又は青インキ、或いはタイプをもつて記載し、被控訴人自ら署名した文書を持参又は、郵送により交付せよ。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、第二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人は控訴人に対し本判決確定の日から一〇日以内に被控訴人の費用をもつて原判決添付第一目録記載の謝罪公告一、二一一部(「中野茂男氏に対する謝罪公告」、「木俣秋水」なる文字を四号活字、その他の文宇を五号活字とする。)を印刷に付して作成の上、一部ずつを原判決添付第二目録記載の一、二一一名に対し、第一種郵便物に付して送付せよ。訴訟費用は第一、第二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠に関しては、次のとおり削除、附加するほかは原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

一、原判決事実摘示中、控訴人の本訴請求原因、反訴答弁の主張第七および第八項、被控訴人の本訴答弁、反訴請求原因の主張第四ないし、第六項をいずれも削除する。

二、被控訴人は当審において抗弁として次のとおり主張した。

被控訴人が、「私はP・T・A会長として及第か落第か」と題する印刷文書(甲第一号証)を衣笠P・T・A会員に配布したのは、控訴人が被控訴人の名誉、信用を誹謗中傷しようと考え、「会長木俣秋水氏に対する質問状」と題する印刷文書(乙第二号証)および「衣笠P・T・Aの皆さん」と題する印刷文書(乙第三号証)を衣笠P・T・A会員ばかりでなく、京都市議会各派にも配布する所為に出たため、被控訴人自らの名誉、信用を防衛するため、やむを得ずしたことで、被控訴人の右所為は正当防衛である。

三、控訴代理人は、右抗弁に対する認否として次のとおり述べた。

控訴人は、右乙第二、第三号証においては、被控訴人の衣笠P・T・A会務の運営について批判しているだけであつて、それ以上に何等被控訴人の名誉、信用を毀損するものではない。

仮に右記述中或る点が不法行為に該当するとしても被控訴人が、甲第一号証を衣笠PTA会員に配布する手段をもつて控訴人を指摘して、「この人間として基本的なモラルも弁えぬ人物云々」と論評したことは正当防衛の範囲を逸脱した過剰防衛と云わねばならず、違法性を阻却するものではない。

四、証拠〈省略〉

理由

一、控訴人主張の原判決請求原因一乃至三の事実は当事者間に争いがない。

二、控訴人は、被控訴人が昭和三九年二月二〇日頃、「私はP・T・A会長として及第か落第か! 一部の中傷に答えて会員の良識を問う」と題する印刷文書(甲第一号証)を作成の上、その頃郵送その他の方法により衣笠P・T・A会員に対し配布した際、右文書の中で控訴人を指摘して、「この人間としての基本的なモラルも弁えぬ人物が、その非を蔽うて人を弁難するに至つては、盗人猛々しい所業と断せざるを得ません。」と論評したことは、控訴人の名誉を毀損するものである旨主張するので以下検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。即ち、

控訴人は、昭和三八年六月から京都大学教授の地位にあり、被控訴人は昭和二六年四月以来京都市議会議員であるところ、昭和三八年七月一日、京都市立衣笠小学校講堂において、衣笠P・T・A総会が、(一)給食室および保健衛生室の拡充計画の件、(二)賛助会員を募集する件を議案として審議するため開催され、会員であつた控訴人および当時P・T・A会長であつた被控訴人を含め約一二〇名の会員が出席して審議の結果、議案(一)については、給食保健施設拡充特別委員会が設置され、被控訴人がその委員長に就任し、一口金五〇円の特別会費を会員より徴収することとし、その徴収時期および期間は、右総会案内書(甲第三号証)に議案として記載されているとおり、昭和三八年九月より向う二年間とする旨議決され、その際、右特別会費は名目上会費であるが、実質上は任意の寄附とする、その徴収手続についても児童に影響を与えないため児童を通じて徴収する方法をとらないよう特別の配慮がなされるべきである等の付帯条件の提案が控訴人らからなされたところ、特別会費は任意とすることは確認されたが、その余は単に要望としてとどめおかれることになつた。

ところが、その後右特別委員会委員長被控訴人名義の衣笠P・T・A会員に配布された特別会費申込書乙第一号証では、右特別会費の徴収時期が総会の決議よりも二ケ月繰上つて同年七月からとし、右特別会費の醵出は一応任意であつて強制するものではないと断つてはいるが、既に総会の議決を経て会費の形をとつている以上全員一口以上加入するよう強く要望していたこと、徴収手続も総会でなされた要望には反し、教職員会議で決定されたことも一因であるが、児童を通じて、右特別会費を徴収する方法を採用したこと、更に右特別会費は新洗滌器等の器具が夏休み終了後の九月から直ちに使用できるようこれらを夏休み中に購入するため、現に七月から徴収が開始され、衣笠P・T・A会員の九割以上が納付に応じていたこと、同年一二月七日の総会時の懇談会において、控訴人が被控訴人に対し、右特別会費の徴収手続について自分の娘の例を引いて児童を通じて徴収することは弊害があり強制的になるのではないかと質問したのに対し、被控訴人はこれに答えず、会費を支払つていない者は退会せよと相当強い口調で云つたこと、これに対し控訴人は、これでは到底口頭では話合いもできぬと考え、昭和三九年一月頃「衣笠PTA会長たる被控訴人が総会の決議を無視して右特別会費の徴収時期を繰上げ、本来任意寄附と確認された特別会費を会員よりその児童を通じて実質上強制的に徴収している上、副会長、会計、書記等の地位を尊重せずしてその任務を侵しており、被控訴人のP・T・A会務の運営が非民主的で独裁的である」旨批判した昭和三九年一月一〇日付「会長木俣秋水に対する質問状」と題する印刷文書(乙第二号証)、および同月一二日付「衣笠P・T・A会員の皆さん」と題する印刷文書(乙第三号証)をその頃衣笠P・T・A会長全員に郵送配布したうえ、(なお被控訴人に対しては乙第二号証と同一内容を有する書信を郵送した)、京都市議会に於て義務教育無償化の動きも窺われたので、これを促進するため京都市議会各派に対して各一部ずつ配布した。

一方控訴人より右のような方法で会の運営に関し批判を受けた被控訴人は、衣笠P・T・Aの問題を市会にまで持出した事につきまず市議会各派に対し、控訴人の批判は被控訴人に対する中傷であつて衣笠P・T・Aは極めて健全に運営されており、右批判は的外れである旨弁明する文書(乙第四号証)を配布するとともに、志を同じうする他P・T・A会員らの推めもあつて、右控訴人の批判に反駁するため、昭和三九年二月二〇日頃、「私はP・T・A会長として及第か落第か!一部の中傷に答えて会員の良識を問う」と題する印刷文書(甲第一号証)を衣笠P・T・A会員に郵送配布し、その中で「右控訴人の批判はいわれなきものであつて、右特別会費は給食室食器洗滌器等の器具を予算二四〇万円で購入するため最初は同年九月より徴収する予定であつたが、同じく会費を支払い乍ら近く卒業する六年生のためにどうしても九月から新しい器具を使えるようにしたいという事を同日の総会の席上で訴へ大多数の賛成を得て昭和三八年七月から昭和四〇年六月まで向う二年間に支払うこと、そのために一口月額五〇円以上の特別会費を徴収することを昭和三八年七月一日のP・T・A総会で決議したものである、又P・T・Aの会務も民主的に運営されているものである旨」弁明すると共に、京都市議会各派まで控訴人が右批判文書を配布するという控訴人の行為は執拗であつて殊に右批判を自己の政治的生命に対する中傷であるとし、他の大部分のP・T・A会員は特別会費を負担しているのに控訴人はこれを負担せず恩恵のみを受けているのはもつての外だと立腹の上、控訴人を指摘して「人間としての基本的なモラルも弁えぬ人物云々」と論評するに至つたものと認められ、右認定に反する〈証拠〉はいずれもこれを採用しない。

以上の事実に照らすと、控訴人が被控訴人のP・T・A会務運営において総会の決議を無視する等非民主的だと疑問を抱いたことは、たとえ右運営方法が被控訴人の熱意から出たものとしても、一応ある程度もつともなことであつて、しかも控訴人が作成配布した批判文書(乙第二、第三号証)の内容の中被控訴人を指して独裁的、非民主的であると論難していることも衣笠P・T・Aの運営に関しての事でありその他仔細に検討しても、控訴人は被控訴人の個人的人格を攻撃したものとは認められず、被控訴人の衣笠P・T・Aの運営方法に限つて論述しているのである。更に被控訴人は控訴人が右各文書を京都市議会各派に配布したことに憤慨したことも一因となし甲第一号証を作成配布するに至つたというのであるが、控訴人が右各文書を京都市議会各派に送つたのも前記認定のとおり京都市議会において義務教育無償化の動きを促進するためであつて、右は公共の利害に関する事柄であるから、控訴人が京都市議会各派の議員に対して教育行政の参考のためにこれを上申することは何等妨げのあることではなく、被控訴人が京都市議会議員として公職にある以上、京都市民から、右の点に関し批判されたとしても、やむを得ないものである。

勿論被控訴人が控訴人の批判に対し、反駁することは言論の自由として許容されるところであるが、その反駁も他人の名誉を毀損しない範囲内でのみ許されるのであつて、他人の人格を批評するにあたつて、当該個人の品性、徳行、名誉、信用等について世人より受けるべき声価を害するものであるときは、他人の名誉、信用を害するものと言うべきである。

本件において、被控訴人が控訴人より如何に痛烈に批判されたとしても、被控訴人は、控訴人の名誉を毀損しない範囲内で十分控訴人の主張に対して反駁しえたのにもかかわらず、控訴人が前記特別会費の徴収に応ぜず、即自己が総会の決議に従わないに拘らず被控訴人が総会決議を無視して徴収時期を繰上げた事を論難したことに憤慨する余り控訴人を指摘して「人間としての基本的モラルも弁えぬ人物云々」と論評したことは、控訴人個人の人格に関する事柄である上、控訴人が教育者たる地位にあることを考え合せると、言辞いささかその域を脱し、控訴人の人格を誹謗し控訴人に対する世人の声価を低下せしめる違法な行為と言わざるを得ず、自余の点について判断するまでもなく、結局控訴人の名誉を毀損するものであると認めるを相当とする。

三、これに対し被控訴人は、控訴人が被控訴人の名誉を毀損する事実を記載した右文書(乙第二、第三号証)を衣笠P・T・A全会員ばかりでなく京都市議会各派にまで配布するという実にあくなき所業を敢てしているのであり、しかも控訴人主張の文書(甲第一号証)は、被控訴人が控訴人の不当な非難に対する反駁意見として発表したものであるから、控訴人の本訴請求は信義則に反する旨主張するので検討するに、前記認定のとおり控訴人作成配布の右文書は、被控訴人の名誉を毀損しないし、その作成・配布目的・動機も正当であつて特に不当であるとも考えられず、これに反し、被控訴人主張の右文書(甲第一号証)は控訴人の名誉を毀損するものであるから、被控訴人の主張は失当である。

四、更に被控訴人は、甲第一号証の文書を作成配布したのは、控訴人の批判文書作成配布に対し被控訴人の名誉を防衛するためやむをえずなしたる行為で正当防衛である旨主張するので検討するに、前記認定のとおり控訴人の批判文書(乙第二、第三号証)は被控訴人の名誉を毀損するものとは言えず従つて控訴人の行為をもつて不法行為を認めることを得ず、又、被控訴人の文書(甲第一号証)作成配布は前記の如くその内容において正当な言論の自由の範囲を逸脱しており、被控訴人が控訴人を指摘して「人間としての基本的なモラルも弁えぬ人物云々」と論評したことをもつてやむを得なかつたものとは認められず、被控訴人の右主張も理由がない。

五、ところで、控訴人は控訴の趣旨記載のとおりの文書の作成配布を被控訴人に対し求めるのであるが、控訴人と被控訴人と間のこれまでの個人的感情を含む対立状況、言語又は文書による応酬の経緯等の諸事情に照らすと、主文第二項の如く被控訴人において控訴人に対し別紙記載のとおりの文書の交付をなすことをもつて、控訴人の名誉を回復するに十分であると認められる。

以上の次第であるから控訴人の本訴請求は、被控訴人の右所為が控訴人の名誉を毀損したものと認め、右名誉の回復には、被控訴人が控訴人に対し主文第二項のとおりの文書を交付する限度で認容すべきであり、その余は失当として棄却を免れない。

よつて本件控訴は、一部理由があるから右と異る原判決中控訴人敗訴の部分を取消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。(山田常雄 常安政夫 見満正治)

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